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東京高等裁判所 昭和53年(行コ)2号 判決 1986年7月17日

控訴人(原告) 社会福祉法人恩賜財団済生会

被控訴人(被告) 東京都地方労働委員会

参加人 全済生会労働組合中央病院支部

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「原判決を取り消す。参加人を申立人とし、控訴人を被申立人とする都労委昭和五一年(不)第八一号不当労働行為救済申立事件につき、被控訴人が昭和五一年一一月一六日付でした救済命令を取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人及び参加人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人及び参加代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次に附加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人の主張

本件救済命令(以下「本件命令」という。)は、参加人の賃上げ要求に対して控訴人がいわゆる妥結月実施条項を付して回答し、これを固執したことをもつて、かかる行為、態度は、参加人の自主的運営に介入し、結果的に済生会中央病院労働組合(以下「新労」という。)の組合員らと差別し、参加人及びその組合員に精神的、経済的動揺を与え、参加人を弱体化する行為であるから、参加人が賃上げ額を受諾したにもかかわらず、妥結月実施条項を受諾しないことを理由に賃上げを実施しないことは、労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するとして、控訴人に対し、参加人所属の組合員に昭和五一年度の賃上げを昭和五一年四月一日に遡つて実施すること等を命じたものであるが、右命令は違法であり、取消を免れない。その理由の要点は次のとおりである。

(一)  不当労働行為認定の誤り

(1) 「特段の事情」を検討することは不要である。

控訴人は、参加人及び新労の昭和五一年度の賃上げ要求に対して、本件妥結月実施条項を含む双方同一内容の回答をほぼ同一時期に行つたところ、新労は四月中にこれを受諾したが、参加人は受諾しなかつたため、新労所属組合員と参加人所属組合員との間で賃上げ分の賃金の支払に差異を生じたものであるが、控訴人において両組合に全く同一内容の回答を提示している以上は、これについての妥結の遅速は各組合の自主的判断の結果であり、その遅速の差によつて各組合員に対する賃金の支払に差異を生じても、これは各組合の自主的選択に基づくものであつて、そこには控訴人による差別扱いという観念をいれる余地はない。

仮に、右のような各組合の選択行為の結果として生じた差が使用者の行為(不当差別行為)によるものとみなされる余地がありうるとすれば、それは、組合の選択が外形的には組合の自主的判断によるもののようにみえても、その実、客観的にみて組合に他の選択をする余地、可能性がなく、一方の結果を選ぶほかありえない場合であつて、しかも使用者がそれを知つて利用した場合に限られるべきであるところ、本件は、参加人にとつて選択の余地がありえなかつたという状況にはなく、参加人は妥結、不妥結の二つの道の一方を自由な意思で選択しえたのであるから、右のような場合にもあたらない。

右のとおりであるから、本件においてはいわゆる特段の事情の有無を云々する余地はなく、控訴人の参加人に対する前記回答とこれを維持した行為が不当労働行為を構成することはありえない。

(2) 右(1)の考え方が認められず、特段の事情があるときは、控訴人が本件妥結月実施条項を提示しこれを維持した行為、態度が不当労働行為を構成することがありうるとの見解に立つたとしても、右条項の意味、控訴人がこれを提案し維持した事情等は次のとおりであつて、右の特段の事情の存在を肯定すべき余地はない。

(イ) 妥結月実施条項の取引条件としての適格性と合理性

団体交渉はもともと一種の取引であるから、そこで提示しうる条件については、それが違法であるとか著しく合理性を欠くものでない限り制限されることはないのであり、例えば、賃上げ要求に対する使用者の回答において条件を付する場合、右条件が「賃上げにとつて不可欠の前提となるもの」とか、「賃上げと直接の関連性をもつもの」とかに限定されるべきいわれはない。

これを妥結月実施条項についていえば、賃上げの遡及実施が不可能であるとか、不合理である場合でなければこれを取引の条件として提示することができないと解すべきではなく、使用者としてはたとい遡及することが不可能、不合理といえない場合であつても、取引の条件としてこれを提示することは自由であるといわなければならない。しかも、元来賃上げは金額と実施時期の二つがそろつてはじめて意味のあるものとなるのであるから、実施時期を定める妥結月実施条項は賃上げと密接不可分の関連性をもつものである。

また、もし賃上げの遡及実施をするとすれば、事務作業の繁雑化をもたらし、多大の無用な手間を強いることとなつて、むしろ却つてそれ自体不合理なものである。すなわち、使用者は、労働者に賃金を支払うにあたつては、基準内賃金額を基準として、超過勤務料などの基準外賃金、欠勤等によるカツト額、休業時の平均賃金額、所得税・住民税等の公租公課及び各種社会保険料の控除額等を算出し、また、期末賞与についても賃金月額を基準としてその総金額、控除額等を算出するのであるが、賃上げを遡及実施するとなれば、賃金は既に賃上げ前の金額によつて支払われているのであるから、右に挙げた基準内賃金に基づく諸計算はすべてご破算となり、一人一人についてぼう大な手間と時間と費用をかけて計算をやり直し、諸官庁への届出書類、賃金台帳等諸帳簿についても記載を改める手続をとらなければならないことになるのであり、この点を考えただけでも賃上げの遡及実施は決して合理的なものとはいえないことは明らかである。

(ロ) 妥結月実施条項を提示した動機、目的とその相当性

控訴人は、本件妥結月実施条項を提示した昭和五一年当時、数億円にのぼる累積赤字をかかえ、その窮状ぶりは既に社会問題化さえしていた。現に、昭和四九年七月二日の朝日新聞朝刊社説には「重体となつた公的病院」という題で、同年八月二六日のNHKテレビニユース解説には「病院の崩壊」という題で、また昭和五〇年一一月一四日の毎日新聞朝刊には「崩壊寸前の民間大病院」という見出しで、それぞれ控訴人のことが日赤病院等とともに実例として取り上げられ、その財政の危機と社会的影響の重大性が報じられたほどであつた。こうした窮状の中で、控訴人は、その事業が病院の経営であつて、医療設備等の質を落とすことで患者に窮乏のしわ寄せをこうむらせることはできないということから、より一層の企業努力を強いられており、従業員に対しても、この実態を昭和五一年以前の団体交渉でしばしば説明し、もとより参加人も十二分にその深刻さを了知していた。

こうした背景の中で、控訴人は、企業努力の一環として不合理な賃上げの遡及実施をやめるべく本件妥結月実施条項を提示したものである。そもそも使用者にとつて労働者に賃上げを約束することすら義務ではなく、まして賃上げの四月遡及は、石油シヨツク以後の、しかも財政の危機に瀕している控訴人にとつてはむしろ非常識ですらあるというべく、控訴人が、妥結月実施条項を提示して、賃上げの遡及実施を拒否するきびしい姿勢を打ち出したことは経営者として極めて当然のことである。

しかも、参加人は、前述のように、あらためて控訴人から説明を受けるまでもなく、控訴人のきびしい態度の背景にある前記窮状を十二分に了知していたのであり、それゆえに控訴人が妥結月実施条項を提示した団体交渉において参加人からこれに関する何らの質問も説明要求もなく、参加人が右条項を奇異な提案と受け取つた様子は全くなかつたのである。

そして、また、控訴人が本件妥結月実施条項を提示したのは、これによつて「組合側の要求額に達するまで続けなければならない団体交渉」や「せつかく妥結点に達しながら打たれるスト」といつた団交権の濫用的事態や闘争至上主義的ストのような事態を回避し、賃上げ問題の迅速な解決を図りたいと考えていたことによるものでもあるが、労働関係調整法が、「労働争議を予防し」「産業の平和を維持」することをその目的としている(同法一条)だけでなく、労使紛争を生じた場合「できるだけ適宜の方法を講じて、事件の迅速な処理を図」ることをも目的としている(同法五条)ところによると、このような意図に基づく本件妥結月実施条項の提示は、まさに法の精神にそうものというべきである。

更に、前記したように、賃上げの遡及実施は、多大の無用な手間を強いるものであるから、これが廃棄を事務担当者から強く求められていたのである。

(ハ) 妥結月実施条項を維持したことの正当性―中立保持義務

控訴人におけるように複数の組合が併存する場合、使用者には一定限度での中立保持義務があるとされているのであり、控訴人が、併存する参加人と新労に対して同一の条項を提示し、新労とは該条項で妥結ずみという状況下において、参加人に対して同一条項を変更することなく維持することは、使用者としての中立保持義務を全うするゆえんでもあつたといえる。本件命令は、控訴人の右申立保持義務を全うしたというべき態度に対し、「自己の提示した条件に固執した」などという論外の評価をして、かかる行為、態度が参加人に対する差別と不利益を意図した支配介入になるというのであるが、もしそうだとすると、条件に固執することは複数組合が併存する場合でなくとも起こりうることであるから、そのような場合でも支配介入の不当労働行為になるというに等しい結果となり、ひいては団体交渉においておよそ使用者が自己の条件を強く主張することは全く不可能になるという背理に到達することに帰する。

控訴人は、右の中立保持義務をふまえ、かつ労働条件等の斉一化を望んだことから、新労との間で妥結した条件を参加人に対して強く主張し、これを変えなかつたもので、このような対応は何ら参加人に対する不当差別ではなく、これを不当労働行為と解すべきいわれはない。

また、控訴人の対応をもつてその交渉態度が不誠実であるとするのも誤りである。

すなわち、団体交渉は対向する両当事者間の取引的商議であつて、長期間合意に達しない事態が生じても、それは当事者の双方がそれぞれ自己の提案を堅持、固執した結果とみるべきで、団体交渉における誠実、不誠実ということも、このような両当事者の態度の相関関係において把握されなければ不合理である。これを本件についてみるに、控訴人の本件回答、特に妥結月実施条項の提示に対する参加人の団交態度は、妥結に向けての真剣なものではなかつた。すなわち、参加人は、四月二三日の控訴人の本件回答に対して専ら賃上げの幅を問題とし、妥結月実施条項については何らの説明も求めず、同月二六日にはいきなり争議の通告をした。同月二七日の団体交渉においても、参加人は賃上げ幅について不服を述べるにとどまり、それも執拗にくいさがる態度は全くみられないまま二〇分で団体交渉を終えているのみならず、同日、控訴人が三〇日以後に再度団体交渉したい旨申し入れたことに対しても何の返答もせず、同三〇日には、賃上げ幅に不満である旨のデモを勤務時間内に行い、連休あけの五月六日にやつと右団体交渉申込みを拒否する回答をしてきた。そして、五月七日には再び勤務時間内に集会とデモを行つているのである。また、参加人は、四月二三日の前記回答に対し、四月中にこれを受諾するための組合大会を開くことが不可能ではなかつたにもかかわらず、その予定を組もうとさえしなかつた。右のような経過によると、当時参加人には、四月二三日の前記回答について妥結する意思も計画も全くなかつたことが明らかであり(なお、この点において本件ではいわゆる熟慮期間の長短などは問題として取り上げるまでもない場合というべきである)、かかる参加人の態度に鑑みると、それとの相関の視点を欠いて控訴人の交渉態度を不誠実とするのは、あたらないというべきである。

(二)  救済命令の形式(主文)についての誤り

(1) 本件命令は、控訴人に対し、参加人所属の組合員に昭和五一年度の賃金引上げを昭和五一年四月一日に遡つて実施することを命じているが、これは憲法で保障されている使用者の固有権を侵害するもので、被控訴人の裁量権の範囲を逸脱したものというべきであり、違法である。

すなわち、現行法上、使用者にとつて団体交渉に応ずることは義務であるが、協定の締結まで義務づけられているわけではないし、賃金の引上げは、労使の合意(少なくとも使用者の承諾)がない限り当然に行われなければならないような行為ではなく、使用者は、これについての協定が成立してはじめて労働者に対して新賃金額(賃上げにより増加した金額)の支払義務を負うことになるのであつて、右協定が成立するまでは新賃金を支払うべきいかなる義務をも負つていない。ところが、本件命令は、協定がなければ本来生じえない賃上げ分の支払を命ずることにより、賃上げについての協定の締結を強制したのと全く異ならない効果を生ずるものとなつている。控訴人は、本件命令によつて協定という合意の媒介なしに賃上げ分の支給という財産的出捐を強制されることになるが、これは、憲法一九条、二〇条、二九条で保障されている使用者の固有権を二重、三重に侵害したもので、被控訴人の労働委員会としての裁量権の範囲を逸脱した違法なものである。

(2) 本件命令は、参加人の救済申立に対しては協議命令という命令形式で対処するのが相当であるにもかかわらず、これを考えることなく強権的な命令形式をとつたもので、行政法上の裁量権規制の法理の一つであるいわゆる比例原則を看過したものであり、裁量権の濫用である。

すなわち、労働委員会は一個の行政機関であるから、その裁量権の行使については行政法上の裁量権規制の法理、なかんずく比例原則の適用があることはいうまでもないところ、右原則は、通説によれば、憲法一三条を根拠とし、「国民の既存の権利や自由を制約する場合には、行政権の発動は該目的を達成するために必要最小限にとどむべきで、これをこえて裁量権の行使をするのは違法である」ことを内容とする。

これを本件に則してみれば、被控訴人が「使用者は妥結月実施の条件を固持し、実質的な団体交渉に応じない」と認定し、原状回復の必要を認めたとしても、「妥結月実施の条件に固執して団体交渉を延引させてはならない」という趣旨の協議命令を発することで十分にまかなえるはずである。換言すれば、控訴人の団体交渉の条件の一部を排斥し、これを禁じた形で控訴人と参加人を団体交渉の場へ赴かせることが必要にして十分な労働委員会の命令であるべきである。控訴人としても、該協議命令が下されたのであれば、労働委員会の命令に従うのであるから、新労に対する逆の不利益取扱いに問われる危険もないし、妥結月実施条項を撤回もしくは別の提案をするにやぶさかではなかつたはずである。このように、本件救済申立に対しては右の協議命令という必要にして十分な命令形式がありながら、これを判断考慮した形跡もないまま既述のように違憲性のある強権的な本件命令を発したことは、比例原則に抵触する裁量権濫用の行為といわなければならない。

(3) 前記四月二三日の控訴人の本件回答は、賃上げに伴つて従来全員に支給していた食事手当を廃止することをも条件の一つとして提示したものであつたから、同月中に右回答を受諾した新労の組合員については同月限り右手当が廃止されたものであるところ、参加人との間では妥結に至らなかつたため、四月以降も右手当が支給され続けていた。したがつて、参加人の組合員に対する四月からの賃上げの実施を命ずるにしても、そのままでは新労の組合員に対するのと比べて食事手当分の支給が過多になるのであるから、命令の中でこれを控除する等の配慮を加えるべきであり、本件命令はこれを怠つている点においても不当である。

2  被控訴人の主張

被控訴人が、控訴人において参加人の組合員に賃上げを実施しないことをもつて不当労働行為と認定したことに誤りはなく、本件命令の形式(主文)にも何ら違法な点はない。その理由の要点は次のとおりである。

(一)  不当労働行為の成立を認定したことの正当性

控訴人の主張は、要するに、控訴人は賃上げ額と妥結月実施との両者の一括受諾を賃上げ妥結の条件としたのであるが、参加人は自らの選択でこれを受諾しなかつたので賃金交渉が妥結せず、その結果参加人の組合員に賃上げが実施されないまでのことで、控訴人の行為、態度は不当労働行為にはあたらないというものであり、右主張の根底には、本件の条件付回答は取引として許される範囲に属するという考え方があるもののようである。しかし、被控訴人は、この点について「労使が賃上げ等の団体交渉においてその提案や回答に条件を付することは一般に認められるところである。」としながらも、「しかしながら、その条件の内容または維持の方法が違法・不当であり、あるいは著しく合理性を欠く場合はこの限りではない。」との見地に立ち、詳細な検討を加えた結果、次のとおり、控訴人の提示した条件の内容、維持の方法は著しく合理性を欠くもので、その提案は結局不公正であつて「取引」の名の下に容認されるものではないと判断し、交渉未妥結を理由に参加人の組合員に賃上げを実施しないことについて不当労働行為の成立を否定することはできないとしたものである。

(1) 妥結月実施条項の提示は従来の慣例を変えるものであるにもかかわらず、控訴人はその提示にあたつてそれが相当であるとの事由を何ら示しておらず、また、賃上げ額と実施時期を抱き合わせ、これを一括受諾しない限り妥結とは認めないとの条件も、文字どおり抱合わせ受諾を求めるばかりのかたくななもので、いずれも合理性を欠くものである。しかも、右妥結月実施条項を提示した時期は著しく不公正で、そのために控訴人と参加人との間に無用の確執を招いたものである。すなわち、参加人が四月一日からの賃上げ実施を要求したのに対し、控訴人が妥結月実施の条件を付して回答した時期は四月二三日であり、しかもこれを維持するとの強い態度を示したのは同月二七日であるから、参加人が四月中の残された僅か三日間でこれを検討し諾否を決することは無理を強いるもので公正を欠くものであつた。一方、労働組合が使用者の回答に対する諾否の返事を引き延ばしているような事情の認められる場合は、労働組合の側も非難されるべきであるが、本件における参加人の場合には、引き延ばしによつてうるところはなく、かえつて失うところが大きいおそれがあつたのであつて、殊更に回答を遅らせたような事情は認められず、六月七日の受諾回答は相当期間内のものというべきであり、しかも控訴人がこれによつて四月一日から賃上げを実施することによる不都合は何ら認められないのである。したがつて、五月以降労使間に徒らに確執を招いたのは控訴人の前記のような公正を欠く態度によるものというべきである。

更に、控訴人は、実質上の団体交渉を拒否し、妥結のための団体交渉以外は一切応じないとの態度をとり続けたもので、これは、結果的に参加人の団体交渉権を無視し、回答の無条件受諾を半ば強制し、受諾遅延により制裁的不利益を課する効果を招くもので、不当であることは明らかであり、参加人が控訴人の回答を受諾せず、賃上げ交渉が妥結をみないまま推移したのは、参加人の判断と選択によるものではなく、控訴人の態度と責任によるものといわなければならない。

(2) 右(1)の事情を総合すれば、結局、控訴人が「一方的に妥結月実施の条件を付しかつこれを固執する行為態度」をとり続け、参加人との交渉未妥結を理由にその組合員に賃上げを実施しないことは、「支部(参加人)の自主的運営に介入し、結果的に新労組合員らとの間に差別を来たし、支部並びにその組合員に精神的並びに経済的動揺を与え、支部の弱体化を招く行為であるといわざるを得ない」のであり、控訴人の本件不当労働行為の成立を否定することはできない。

(3) 右のとおりで、控訴人の(一)の主張はいずれも失当であるが、なお次のとおり反論する。

(イ) 控訴人は、併存する二つの組合に対して全く同一内容の回答をした以上、それがどのような意図に基づくものであれ、差別扱いということはありえないから、そこに不当労働行為の成立する余地はない旨強調する(1の(一)の(1))。

しかし、原判決も指摘しているように、右は形式論であつて、もしこのような形式論でこと足りるとすれば、不当労働行為制度の趣旨が没却され、ひいて憲法二八条の団結権保護の規定を空文化するに等しい結果を招くこととなる。

(ロ) 控訴人は、賃上げの遡及実施が不合理であると主張する(1の(一)の(2)の(イ))が、賃上げの遡及実施という取扱いは本件労使間で既に行われた実績があるのみならず、賃金交渉妥結時に世間一般で通常行われていることであるから、右主張は誇張にすぎ、当を得たものではない。

(ハ) また、控訴人は、本件妥結月実施条項の提示は、赤字財政打開のためであり、賃上げ紛争の迅速な解決のためのものであつたかのように主張する(1の(一)の(2)の(ロ))。しかし、では、妥結月実施によつてどれだけの額の財源が浮くというのか、前年度までの争議によつて受忍限度を超えた損失はいくばくであつたか等の説明こそなされるべきなのにこれがない。ちなみに経営が赤字から黒字に転化した後も控訴人は依然この条項を固執している。そもそも控訴人が本件団体交渉において協議、交渉の努力を尽くしたとは到底いえない事情のもとでは、紛争の迅速な解決のためというが如きは論外の沙汰というべきである。

(ニ) 更に控訴人は、右条項を固執したことについて、中立保持義務なる概念に依拠してこれを正当化しようとしている(1の(一)の(2)の(ハ))が、不当労働行為の成否の検討にあたつては、右の概念を単に抽象的・形式的に解すべきではなく、この理をふまえたかにみえる使用者の行為、態度の真の意図を具体的、実質的に洞察することが重要であり、控訴人の右条項に固執する態度は、形式的には一見右の中立保持義務に忠実であつたもののごとくであるが、実質的にはこれに違反したものというべきなのである。

(二)  本件命令の形式(主文)の正当性

(1) 控訴人は、本件命令について裁量権の逸脱を主張する(1の(二)の(1)、(2))が、本件命令は、被控訴人が本件における労使関係の実態を見きわめ、その適法な裁量権を行使した結果であり、毫も違法な点は存しない。

すなわち、本件における控訴人は、参加人との間で相互に相手方の主張を理解し合い、説得を重ね、譲歩できるところは譲歩するという、一致点を見出すための真摯な努力を欠き、第二次回答の無条件妥結以外一切団体交渉に応じないとのかたくなな態度をとつていたのであつて、本件賃上げにつき団体交渉での妥結を期待することは事実上不可能であり、そのため、通常、団体交渉の余地があり、かつそれを命ずるにふさわしい場合に発せられることのあるいわゆる協議命令を発することが無意味で、またその余地もないことから、被控訴人は、止むをえず、直截に賃上げの遡及実施を命じたまでのことであり、これは被控訴人の適法な裁量権の範囲に属することである。

(2) また、控訴人は、本件命令が食事手当の控除を命じなかつたことを非難する(1の(二)の(3))が、本件命令は、その主文に明らかなように、控訴人に対し、新労についてと同様に参加人所属の組合員に対しても「昭和五一年度賃金引上げを昭和五一年四月一日に遡つて実施」するよう命じたにすぎない。したがつて、控訴人が本命令に従い、これを実施する段階で、新労との均衡上、主張のような不都合が生ずることになつた場合には、参加人との間で団体交渉なり折衝なりして協議のうえ、この食事手当を控除することはもとより差支えないのであつて、本件命令はそれをも否定する趣旨のものではない。この種の問題は、本件命令の履行に伴う、いわば精算次元の問題にすぎず、そもそも裁量権の範囲逸脱云々の問題ではないのである。

3  参加人の主張

控訴人の主張はいずれも失当である。その理由の要点は次のとおりである。

(一)  不当労働行為の成立について

控訴人は、参加人及び新労に対して同一内容の回答を行つた以上は参加人に対する差別的取扱いはありえない旨主張する(1の(一)の(1))が、独自の見解というべきである。また、特段の事情が存在しない理由として述べるところをみると、団体交渉が一種の取引であることを強調する立論(1の(一)の(2)の(イ))は、労働組合に対して組合が到底受けいれることができないような無理難題を吹きかけ、取引であるから応ずるか応じないかは組合の自由であるという態度を使用者がとることを肯定するものであり、憲法二八条、労働組合法の精神あるいは民法の信義誠実の原則からして到底是認されないものである。事務量の増大等を理由として賃上げの遡及実施が不合理であるとする点(1の(一)の(2)の(イ))は、四月に遡及させたとしてどの程度事務量が増大するというのか明らかでないし、過去一五年にもわたつて毎年四月に遡及させてきており、その間一度もこれに伴う事務量を問題として取り上げたこともないのであるから、本件の場合突如として遡及実施による事務量が増大するとも思われず、右の理由付けはいわば「訴訟用」の事実主張というべきである。財政状態等を云々する点(1の(一)の(2)の(ロ))は、全くの虚偽である。もし、控訴人主張のようにその財政状態を理由に妥結月実施条項を提示したのだとすれば、控訴人がなぜ昭和五一年四月二〇日の第一回回答で右条項を提示して参加人の了解を求める説明をしなかつたのか、なぜ財政が黒字に転じた昭和五二年度以降もこの提案を続けたのかが理解し難い。また、控訴人は、参加人が右条項について提案理由の説明を求めず、これを殊更問題にしていなかつたかのようにいうが、そのようなことはない。参加人は右条項を提案からはずしてほしい旨申し入れているのであつて、提案理由の説明は控訴人こそこれをすべきである。更に、控訴人は、参加人には妥結の意思も計画もなかつたなどとしてるる主張する(1の(一)の(2)の(ハ))が、右条項を提示された以後の参加人の対応を要約すると次のとおりであり、右主張はあたらない。すなわち、参加人は、四月二三日、右条項を含む提案を受けた際、控訴人に対し、額とともに右条項についての批判も表明し、額自体については団体交渉によつて要求額をかち取るべく団体交渉を申し入れる一方、これを実効あらしめるため争議権の確立をはかつた。そして、右条項は団体交渉が延びれば延びるだけ参加人に不利益に働くものであるため、実りある団体交渉を期待するためにはとりあえず右条項を撤回し、そのうえで団体交渉を開くよう要求した。しかし、控訴人が右条項を含む回答の受諾調印団交以外の団体交渉を拒否したため、額についての話合いすら全くできず、しかも、のちのちの労働組合運動に重大な影響を与えるような右条項を含む提案を受諾するか否かの検討時間として一週間は短時日にすぎたため、四月中はもとより、その後も妥結に至らなかつたのであるが、参加人としてはあくまでも団体交渉による話合いを続けて控訴人の提案を煮つめたいと考えていたものである。

(二)  本件命令の形式(主文)について

(1) 控訴人は、本件命令は被控訴人の裁量権を逸脱したものであると主張する(1の(二)の(1)、(2))。しかしながら、労働委員会による救済命令制度は、使用者による組合活動侵害行為によつて生じた状態を直接是正することにより正常な集団的労使関係秩序の迅速な回復、確保をはかるため、労使関係について専門的知識経験を有する労働委員会に対し、その裁量により個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し、これを命ずる権限をゆだねる趣旨に出たものであるところ、本件は控訴人が協定諾否の自由という手段を使つて不当労働行為を行つたことにことの本質があり、いわば控訴人が右の自由を主張して協定を締結しない自由を濫用したために賃上げの未実施という違法状態が発生したのであるから、前記の権限を委ねられた被控訴人がこれを是正するための措置として、結果的には控訴人の右の自由に制約を加えることになつたとしても、それは右の制度の趣旨に合致するもので、何ら問題の生ずる余地はない。また、右の制度は、法的状態ばかりでなく、事実的状態をも救済の対象とするから、使用者が組合ないしは組合員に法的義務を負つている範囲内でのみ救済命令が許されるにすぎないと解すべきではない。更に、控訴人の本件賃上げに関するかたくなな態度からすると、本件は協議命令では不十分であつて、本件命令のような支払を命ずるものこそ原状回復に適うのである。

(2) 控訴人は、食事手当の点を云々する(1の(二)の(3))が、これは労働委員会の原状回復の命令としては止むをえないのである。なお、右食事手当は、昭和五二年二月緊急命令により不当労働行為によつて生じていた状態が是正されて以降は参加人の組合員にも支払われていない。

三  証拠関係<省略>

理由

一  当裁判所も控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却すべきものと判断するが、その理由は、控訴人の当審における主張に対して以下に判断を加えるほかは、原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

1  控訴人の当審における主張(一)の(1)について

控訴人の主張は、畢竟併存する二組合、本件にあつては、参加人と新労とに対してほぼ同一時期に同一内容の妥結月実施条項を含む賃上げ提案をし、それぞれと団体交渉を行つたものである以上、控訴人の真の意図、計算及び交渉態度などは一切捨象されるべきであつて、本来的に不当労働行為を構成する余地はありえないというに帰すると思われるが、その誤りであることは明らかといわねばならない。蓋し、もしそのように解せられるとするならば、併存組合下においては、労働組合法七条三号の支配介入という不当労働行為類型は有名無実となり、ほとんどその存在価値を失つてしまうであろうからである(最高裁判所昭和五九年五月二九日判決=「日本メール・オーダー事件」、同昭和六〇年四月二三日判決=「日産自動車事件」各参照)。

2  同(一)の(2)の(イ)について

団体交渉が労使間における一種の取引であることについては格別異論はないし、妥結月実施条項をそれ自体とりだせば、それが無色な取引条件の一つであり、合理的な一面をもつということについても敢て控訴人主張に疑義を述べるまでもないであろう。

しかし問題は、その条項が団体交渉の場に持ち出されたいきさつ、即ち、それがうまれた原因とか背景の事情、及びそれが当該労使間においてもつ具体的な意味あい、更にはそれが持ち出されて以後これをめぐつて労使双方がとつてきた態度等の諸事情をもあわせ勘案すべきなのであつて、控訴人の主張するように、いわば抽象的に妥結月実施条項の取引の条件としての適格性とか、それがもつ本来的な合理性とかを強調しても意味のないことであるといわなければならない。

3  同(一)の(2)の(ロ)について

控訴人は、当審において、本件妥結月実施条項を提案した動機、目的ないし背景事情について、(1) 控訴人の財政悪化、(2) 紛争の長期化ないし争議行為の頻発防止、(3) 賃上げ事務の軽減など(このほかに弁論のなかには、新労との関係で使用者としての中立保持義務の遵守を挙げているが、これはこの提案の実質的な動機、目的ないし背景事情とはかかわりがないと思われる。)を主張するが、昭和五一年四月二三日の団体交渉において、いわゆる第二次回答としてこの条項が始めて控訴人から参加人に提案されたとき、これについて何の説明もせず、単に新労にも同様の提案をしたので新労との間に差をつけたくない旨述べたにとどまつたことは、原判決(二四枚目表六行目ないし九行目参照)認定のとおりである。そしてこの点は、原判決も強調しているように、当該団体交渉の時点でのその説明の有無、適否が肝心なのであるけれども、それはそれとして、当審での右主張について検討してみても、遂に釈然としないのである。

即ち、(1)の点は、当審における証人黒田幸男の証言により成立を認める甲第三、第七号証、成立に争いのない甲第一、第二号証及び同証言によれば、控訴人挙示の新聞やニユース解説が昭和四九年、五〇年と公的病院の財政危機を訴えるなかで控訴人の名も挙げられ、同五一年度には累積赤字が約四億円にのぼつたことが認められるが、他方、妥結月実施条項が実現した場合にどれだけの赤字補綴になるのか等の経済上のメリツトについては、その計算的根拠を示す確たる証拠は全くない(前掲黒田証言によつて成立を認める甲第二六号証によるも、昭和四九年度におけるいわゆる六波ストの影響による控訴人の経済的損失を算出した数字を見出せるにとどまる)。また、たとい妥結月から実施するということが、賃上げに対する控訴人の最大限の譲歩の代償である(原判決三六枚目裏七行目から同三七枚目表一行目まで参照)というとしても、その間にいかなる経済的財政的関連があるのか甚だ理解し難いといわなければならない。次に右(3)の点も、弁論の全趣旨によれば、世間一般にも、また控訴人にとつても四月一日に遡及して賃上げを実施することが慣例化して行われてきたことが認められ、その間事務の支障が耐え難いものとなつていたと証するに足りる証拠はなく、所詮この点も、(1)の点と同様妥結月実施条項の提案についての動機、目的とみるには足りず、かりにそうであつたとしても顧慮に値するものとはいえない。結局残る右(2)の点こそが、控訴人として、この条項の提案にふみきらせた決定的な動機、目的とみるのほかはない。

そうとすれば、次の諸点が顧みられねばならない。即ち、前出甲第二六号証、成立に争いのない乙第八ないし第一一号証及び前出黒田証言によれば、(イ) 昭和五〇年に新労が結成され、それまで唯一の組合であつた参加人の組合員が急速に減少し、同五一年四月当時には半々位までに立ち至つていたこと、(ロ) 控訴人は、参加人による昭和四九年度の春闘における六波にわたるストライキ及び同五〇年度の春闘における団体交渉の過程での累次の就業時間内食込み集会等によつて、病院経営上多大の痛手をうけていたこと、(ハ) 参加人は、新労の結成前後において控訴人に不当労働行為があつたとして控訴人を相手方として救済命令の申立てをし、昭和五一年度の本件春闘当時該事件は係属中であつたこと、(ニ) 妥結月実施条項は、ことを賃金に限つてみれば、団体交渉の妥結が遅れれば遅れるほど控訴人に有利、参加人に不利となる性質のものであるから、単に無意味な団体交渉の繰返しや争議行為の頻発を抑止する機能を営む有効な取引条件であるとのみ捉えることはできず、場合によつては、正当な争議行為等の労働基本権を過度に制約する効果をも帯有していること、以上の諸点が明らかに認められるところ、これらの諸点と後出4でみられる点及び前記のとおり、それが本件春闘における団体交渉で始めて控訴人によつて提案されたものである点等を勘案すると、控訴人のこの条項提案の意図は、新労との協調的な関係、参加人との不協和的な関係という状況の下で、当初から参加人との団体交渉の積み重ねやその争議行為の手段を封じておこうとしたことにあるとみてあやまりはないというべきである(原判決三七枚目裏四行目から七行目まで参照)。してみれば、その動機、目的が合理的であり、相当であるとは到底いえない。

4  同(一)の(2)の(ハ)について

控訴人は、中立保持義務を尽くしたと主張する。しかしながら、前出黒田証言及び同証言により成立を認める甲第二七号証、弁論の全趣旨によつて成立を認める甲第二九号証、成立に争いのない丙第二、三号証によれば、控訴人が新労との間で、昭和五一年四月九日に協議会(「会議」とも「話合いの場」ともいわれるが、新労がその「組合通信」で付した呼称による。)を持ち、新労組合員を含む執行委員全員と控訴人側「三役」との間で、春季ベアの考え方、控訴人の当面する諸問題とその打開策について協議したこと、同月二二日控訴人と新労は第二回目の協議会を持ち、そこで詳細な説明と共に示された控訴人の提案が新労によつて、前回の協議会での新労の意見内容をとりいれたもので誠意ある回答であると評価され、翌日臨時大会を開催してその提案を検討することとされたこと、そしてその日即ち同月二三日新労は控訴人提案(参加人に同日提示されたものと同一内容のもの)を受けいれたことが認められ(これに反する証拠はない)、以上の事実とさきに3において認定した事実とをあわせ考えると、控訴人は新労との間に妥結のための布石をうち、その妥結の確実なるを見とおして参加人に対し同一内容の提案を行い、新労との間の妥結という実績を背景に、参加人に対しても妥結を迫ろうとしたものと推認してあやまりはない。そしてその後も、控訴人は、参加人が容易に応じられないであろうことを十分に認識しながら、条項の性質上妥結の遅滞の不利益をあげて参加人に負わすべく、原判決認定の経緯の示すように、一括妥結方式の応諾団交というかたくなな姿勢を変えなかつたものとみるのが至当である。とすれば、ここには、併存する組合に対するときの使用者の中立保持義務なるものが、控訴人にとつて叙上の真の意図を覆うかくれ蓑に化していたと断じてはばかりないというべきである。

たしかに、参加人の側にも事態の厳しさの認識において甘さがあり、取組においても拙劣さがなかつたとはいえないことが、原判決認定の昭和五一年度賃金引上げ交渉の経過等(原判決一九枚目表三行目から同三二枚目表一一行目まで。とくに同二四枚目裏八行目から同二五枚目表一行目まで参照。)に徴してうかがえないわけではない。しかしながら、ことは妥結月実施という、一義的明確な内容とはいえ、そして当面は賃上げ幅の問題にかくれてはいるものの、前示の如く、団体交渉や争議行為、換言すれば労働組合にとつて労働者の労働基本権にもかかわる問題に対する始めての態度決定を迫られるわけであるから、原判決認定の控訴人側担当者の発言などをも斟酌すると、参加人がたとい同年四月末の時点で控訴人側のこれ以上の譲歩は困難であるとの見とおしに立つていたとしても、なお、相応の熟慮期間を要すべきものとみても少しもおかしくはなく、少なくとも一週間ましてや三日間というような期間、言い換えるならば同年四月中にその態度決定を求めるのは、やはり酷というべきである。そして、当初参加人が賃上げ幅の問題について不服を述べたにとどまつたとしても、事柄の順序からすれば極めて自然であつて、そうであるからといつて、妥結月実施条項に対する参加人の態度が真剣なものでなかつたと即断しえないことはいうまでもない。

更に、とりわけ同年五月以降の団体交渉については、控訴人は、参加人からの累次の申入れにもかかわらず、いわゆる応諾団交でない限り無意味であるとしてこれを拒否しているが(そして逆に控訴人から応諾団交の申入れをしているが同じことである)、むしろ控訴人としては、団体交渉においていよいよますます妥結月実施についてその理解を得べく説明を尽くす用意があつて然るべきであつて、この点は同年六月七日賃上げ幅について参加人の応諾があつた後においては特に然りであるといわなければならない(原判決の説示する、妥結月実施条項なるものが、その性質上賃上げと必然的、不可欠ないわば直接の関連をもつものではないということ、もし、参加人に対し四月一日遡及ということで妥結したとするとき実質的にみて新労所属の組合員にいかなる不利益が生ずるか明らかでないということをここで顧みるべきである)。

それにもかかわらず応諾団交を繰りかえし呼びかけ、一括妥結以外一切団体交渉に応じようとしなかつたことは、たとい相関的に参加人側の態度を考慮にいれても、やはり不誠実な態度であつたと評さざるをえない。

5  以上原判決が説示するところ及び右に説示したところからすれば、控訴人が本件春闘においてした妥結月実施条項の提案とその団交態度とには、参加人とその所属組合員を新労とその所属組合員から、ひいては両組合に属さぬ非組合員から、殊更に差別して不利益に取扱おうとする意図、更にはかくして参加人所属の組合員を経済的に圧迫して参加人内部の動揺あるいはその弱体化を生ぜしめようとする意図があつたものと推認するにやぶさかではなく、この推認を動かす証拠は遂に見出しえない。

6  同(二)の(1)ないし(3)について

控訴人主張の憲法違反、裁量権の逸脱ないし濫用の諸点(右(1)、(2))については、これらに当たらないとする当裁判所の判断の理由は、結局原判決の説示するところに尽きるのであるが、要するに、労働委員会の救済命令は、不当労働行為によつて生じた状態を事実上是正するための行政上の処分であり、労働者の団結権を保護し、正常な集団的労使関係の秩序の迅速な回復、確保をはかるものであるから、それが右の意味における不当労働行為からの救済としての性質を逸脱しない限り、換言すれば、個々の事案毎に適切な是正措置を決定し命令するという労働委員会に与えられた裁量権の範囲を逸脱しない限り、裁判所はその裁量権を最大限尊重するのを相当とする(最高裁判所昭和五二年二月二三日判決=「第二鳩タクシー事件」、同昭和六〇年四月二三日判決=「日産自動車事件」各参照)ところ、叙上の如き控訴人の意図的な姿勢及びかたくなな態度からすれば、かりに被控訴人が協議命令を発したにとどまつたとした場合は、その実効をあげえず、本件不当労働行為からの救済という目的を達しえなかつたであろうことは容易に察せられるので、被控訴人が協議命令という形式を採らずに本件命令に及んだのは、その裁量権の逸脱、濫用とは評しえず、もとより控訴人主張の憲法違反を以て問われるべき筋合ではない。

次に、(3)の点については、本件命令が参加人所属の組合員に対し、新労所属の組合員とは逆差別して、従前どおり必ず食事手当を支給すべきことまでを命じていないことはその主文及び理由上明らかであり、このことについて本件命令の実施上疑義があれば、新労所属の組合員に対すると同等の措置をとるべく、控訴人と参加人との間で協議決定すれば足りる事項に属するというべきである。

三  よつて、控訴人の本件控訴は理由がないから棄却すべく、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高野耕一 根本眞 成田喜達)

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